中日近藤真一 初登板ノーヒットノーランの舞台裏/プロ野球1980年代の名選手

引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1557660338/

1: 砂漠のマスカレード ★ 2019/05/12(日) 20:25:38.59 ID:D0SwGp079
1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

中日・近藤真一

「明日の先発がいません!」

1987年8月9日、ナゴヤ球場で行われた中日と巨人の一戦で、高卒ルーキーながら初登板でノーヒットノーランを達成する快挙を成し遂げた中日の近藤真一。
ただ、これが歴史的なゲームになる予兆は、まったくなかった。
その前夜、3連戦の2試合目までを1勝1分で終えた中日の星野仙一監督は、風呂に入ってリラックスしていたという。

「そこへ投手コーチの池田(池田英俊)さんが入ってきて『明日の先発がいません!』と深刻な顔で言う。
『近藤でいいじゃないですか』と僕は何の気なしに言った。
池田さんは『高校生レベルを優勝争いに投入していいんですか!』と。僕は『いいじゃん、いいじゃん』。池田さんは渋々OKした」(星野)

こうして、一軍に昇格したばかりの高卒ルーキーの初登板は決まった。

享栄高3年で春夏連続甲子園出場。3歳で父親を亡くし、母親に育てられて、

「いつでも母に会えるところにいたい。地元のドラゴンズ以外、考えていません」

と言い切った。5球団が競合したものの、当たりクジを引いて「近藤、約束どおり、やったぞ!」と叫んだのは星野監督。
だが、初めてのキャンプはベストの体重を12キロも超えていて、怒った星野監督から別メニューに回され、毎日300球ほどのノックと走り込みで絞られることになる。
開幕は二軍スタート。
ウエスタンでは7試合に登板して無傷の3勝、防御率1.29と結果を残し、ジュニアオールスターにも出場した。一軍昇格は8月7日。
ただ、のちに星野監督が「部品がないんだから完成品ができるはずがない」と振り返るような、投手陣のコマ不足もあった。

そして9日。試合前の練習で先発登板を指示されると、地元のナゴヤ球場で先発のマウンドを踏む。足が震えるほど緊張していた。
もちろん消化試合ではない。首位の巨人を広島、中日が猛追して、三つ巴の戦いを演じている真っ只中。中日も、相手の巨人も、絶対に負けられない試合だった。

球種はストレートとカーブのみ。ストレートの球速は140キロ台と、剛速球といえるほどではない。
ただ、カーブは大きく曲がるものと速くて小さく変化するものの2種類があり、制球には自信があった。
あとは、覚えたてのフォークが使えるかどうか。そしてプレーボール。初回、先頭の駒田徳広を3球三振。これで不安が消えた。
カーブが冴えわたり、そのまま三者凡退、2回にはクロマティと吉村禎章を連続三振に。
3回には山倉和博に四球を与えて初の出塁を許したが、そこから2者連続三振。4回には四番の原辰徳からフォークで三振を奪った。5回は三者凡退。

「5回が終わったあたりからノーヒットノーランを意識した。なにせベンチに戻ると、みんながやれ、やれってしつこくて(苦笑)」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190512-00000010-baseballo-base
5/12(日) 16:01配信

 
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https://www.youtube.com/watch?v=p4r4Z59WOe8


1987 近藤真一 初登板 初先発 ノーヒットノーラン

https://www.youtube.com/watch?v=gmwoV5ODH-A


<昔のビデオから>近藤真一 プロ初登板・初先発ノーヒット・ノーラン達成(完全ノーカット)

http://npb.jp/bis/players/21323864.html
成績

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