中日・浅尾拓也コーチ、根尾の500球投げ込みを制止「選手には1年でも長くやってほしい」

ドラゴンズ帽子
1: 名無し 2025/06/16(月) 12:36:14.29 ID:pPx52F2l0
中日・根尾昂が悩む姿「400~500球を2日連続で…」「これは止めないとダメだ」ドラゴンズ浅尾拓也コーチ40歳が明かす「投手転向、根尾との3年間」
https://news.yahoo.co.jp/articles/22fd3e5b82510eb55e162cc9ac9eebc433c7564e?page=2
 思わず、ストップをかけたことがある。練習中、ブルペン投球のみならずボール2箱分、400〜500球ものネットピッチに熱中していた時のことだ。

「ネットに向かっての投球なので負担は少ないですけど、それをやった次の日にさらに投げるみたいなことも彼はしていたので、流石に止めないといけないと思って。

「コーチとして“作りたくない選手”」

 コミュニケーションを大事にしながらも、教えすぎない。そんな根尾との関係性は今も変わらない。今シーズン、4月末に一軍に合流してきた時は久々に見たストレートの速さに驚いたという。

「今までは球速の数字通り、という感じだったんですけど、それより球が速く、強く見えるようになりましたね。それは何でなのか、と聞いたら根尾自身が遠投を増やしたと言っていた。『体を大きく使えるようになりました』って。『僕は、そうか、じゃあそれ続けようね』って、それぐらいですね。(二軍で)良かったから上がってきてたのだから、僕はそのまま継続してほしいと思っています」

 浅尾投手コーチの現役時代はよく、「太く短い野球人生」と言われる。華奢な体から最速157kmのキレのある球を投げ込み、来る日も来る日もマウンドに上がった。2010年にはプロ野球記録となる25試合連続ホールドポイントをマークするなど72試合に登板。翌11年は79試合に登板し2年連続で最優秀中継ぎ投手賞を獲得するとともにリーグMVPの頂にも立った。

 しかしその後、運命は反転する。2012年ごろから右肩痛に悩まされ、マウンドが遠のく日々。ストレートの球速はどんどん落ち、2018年に引退を決断した頃には140kmがやっとという状態だった。黄金期の「勝利の方程式」の一角として過度な連投など酷使されたことが怪我の原因になったという周囲の声もあるが、浅尾コーチ本人は「悔いは本当にない」と言い切る。しかし、逆に自身がコーチとしてブルペンを任される立場となった今、こんな思いもある。

「自分に関して後悔がないという思いは今も変わらないです。ただ、コーチとして“太く短く”という選手は作りたくない。1年でも長くやって欲しいと思っています」

 40歳になった「悲劇の右腕」は今、若い選手たちとどう向き合っているのか。

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