元中日育成の松田亘哲、名古屋の放送局で第2の人生「メディアの持つ力を生かして自分らしい仕事を」

ドラゴンズ帽子
1: 名無し 2023/12/30(土) 09:56:15.32 ID:0Rd8kje+9
トーチョウ
2023年12月30日 05時00分
https://www.chunichi.co.jp/article/829827

元中日育成選手の松田亘哲投手(26)が名古屋市に本社がある放送局の中途採用試験に臨み、12月中旬に就職が内定した。来春から勤務する予定で「頑張る人に光を当てられる仕事。精いっぱい取り組みたい。メディアの持つ力を生かして、自分らしい仕事ができれば」と意気込みを語った。

愛知県岩倉市で生まれ育った松田は名古屋大出身。江南高時代は中学時代に取り組んでいた野球ではなく、バレーボール部に所属していたが、大学進学後に再び野球へ思いが再燃。硬式野球部に入部すると左腕投手として頭角を現した。1日5食の食トレなどで体を鍛えると、最速148キロまで成長したこともあって、2020年育成ドラフト1位で同大から初のプロ野球選手となった。

だが、中日入りしてからは苦難の連続だった。「入団してから2年間は練習についていくのがやっと」。1年目はけがにも苦しんで2軍戦の登板はなし。2年目から主に中継ぎで登板したが、4年目の今年はイップスに似た症状に苦しんだ。最大の武器だった直球でストライクが取れない。そのうちに左手からボールが離れなくなった。その後、辛うじて投げられたのがツーシームとスライダー。直球を封印して、変化球主体の投球に活路を見いだそうと最後までもがいた。

試行錯誤は内面の変化も生んだ。もともとは人に興味がないタイプだったが、チームメートに質問を繰り返すうちに、現状の思考やフォームにたどり着く過程が知りたくなった。「人それぞれに歩んできた道がある。そこに面白さを感じられた」。10月に戦力外通告を告げられた直後、真っ先に選択肢に浮かんだ進路はメディアだった。

育成選手だった自分にできることとは…。おぼろげにイメージできることはある。「注目されていなくてもすごい人はたくさんいる。そういう人たちに少しでも光を当てられたら」。無名も無名だったアマチュア時代、画面に映ると友人や知人から連絡が届いた。「こういう人がいるんだ、とかあの人は今ここで頑張っているんだ、と伝えられる。メディアの力って僕はすごいと思っているので」と話す。

11月下旬から筆記試験や面接をへて届いた”サクラサク”の吉報。プロ4年間での成績は2軍54試合で0勝5敗、防御率6・30。「いつかはドラゴンズを取材する側に回れたら」と思い描きながら、新たな一歩を踏み出す。

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