1: 名無しさん 2025/01/16(木) 08:44:57.30 ID:xIEdb9KeM
栗山英樹氏の意外な本音「星野仙一さんに憧れていた」 あえて“実践”しなかったワケ
2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で監督として野球日本代表「侍ジャパン」を優勝に導いた栗山英樹氏(日本ハムCBO=チーフ・ベースボール・オフィサー)が15日、東京のジュンク堂書店池袋本店で出版記念トーク&サイン会を開いた。WBC以降、“理想の上司”に挙げられることも多い栗山氏だが、自身の「憧れの監督」として意外な名前を口にした。
イベント終了後の記者会見。栗山氏は「本当は、僕は星野仙一さんに憧れていました。愛情があって、心の底から叱れるところが好きでした」と打ち明けた。
栗山氏は侍ジャパン監督就任前、2012年から21年まで10年間も日本ハムの監督を務め、リーグ優勝2回、日本一1回。現ドジャース・大谷翔平投手のプロ入りからメジャー移籍まで(2013~17年)を見守り続け、成長を促した。人当たりが柔らかく、コミュニケーションを密に取り、部下(選手)を立てるイメージが強い。何しろWBC期間中に、指揮官の自身を差し置いて「このチームは、ある意味で“ダルビッシュ・ジャパン”」と評したことがあるほどだ。こういうところが、今どきの若い世代からも支持される理由と見られる。
一方、星野氏は2018年に亡くなったが、現役時代は闘志を全面に出すピッチングスタイルで中日のエースの座に君臨し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。2008年の北京五輪では野球日本代表の指揮も執った。監督としては選手に深い愛情を注ぎつつ、自身のカリスマ性でぐいぐい引っ張り、時には“鉄拳制裁”ありのスパルタ方式で「闘将」の異名を取った。栗山氏とは対照的なタイプと言えるだろう。
ただ、栗山氏自身も当初から、“星野流”のやり方は自分には合わないと自覚していたという。「能力も(現役時代の)実績もない僕が、選手たちに言うことを聞いてもらうために何をしなければならないかを考えた中で、僕のやり方は1つしか生まれませんでした。僕は僕のやり方を通しただけ。僕にはあのやり方しかできなかった」と吐露した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f707d1f54f7a5f081fa6b5b0971a858ab9dad47d
続きを読む