54: 名無しさん 23/07/27(木) 19:50:20 ID:Nicn
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巨人・岡本和真「鈴木誠也より高レベル」絶大評価でメジャー代理人が「極秘接触スカウト」していた
巨人の岡本和真が、メジャーリーグから熱視線を送られている。
海外の代理人が岡本の関係者に接触していた、との情報をキャッチした。岡本のメジャー志向が高まれば、2024年オフにポスティングによるメジャー挑戦の可能性が出てきたというのだ。メジャーリーグを取材するスポーツライターは、
「レッドソックス・吉田正尚らの活躍によって、大リーグ関係者は日本のトッププロ選手のスカウティングに再び動いています。そこで野手の第1候補に挙がっているのが岡本ですよ。2022年まで5年連続で30本塁打をマークしていて、今年もすでに20本塁打。27歳という若さながら、長年にわたって安定した力を発揮できていることが評価を上げています」
メジャースカウトが集結したWBCでの活躍も、プラス材料となった。準々決勝のイタリア戦では3回にアウトコースのスライダーを、パワーで左翼席へ運ぶ3ラン。5回には右方向へタイムリー2塁打を放って、5打点の大活躍だった。決勝のアメリカ戦でも、4回に左中間スタンドへホームランを放っている。
「イタリア戦では2つのフォアボールを選び、4打席全てで出塁しました。WBCトータルでも出塁率5割6分6厘。パワーと選球眼を兼ね備えている点や、外野やファースト、サードも守れるところが、中南米の選手との違いで、アメリカでの高評価に直結しています。現状、右打者ではカブスの鈴木誠也よりレベルは上ともっぱらですね」(前出・スポーツライター)
岡本の海外FA権取得は、ケガなく順調にいけば2027年。早期に移籍できるかどうかは、巨人がポスティングを認めるか否かにかかっている。
https://www.asagei.com/excerpt/272257
巨人が29年ぶりの屈辱 甲子園の阪神戦6連敗 原監督のマシンガン継投実らず逆転負け 打線は大竹攻略も
巨人が接戦を落として2連敗。今季、甲子園での阪神戦は6連敗となり1994年以来、29年ぶりの屈辱。その差は7・5ゲームへと開いた。
リリーフの継投が裏目に出た。先発したグリフィンは5回を5安打3失点で降板。“マシンガン継投”を敢行した。2点リードの六回は4番手の菊地が2死一、二塁から代打・原口に左前適時打を打たれて1点差に迫られた。七回には5番手の高梨が1死一、二塁から佐藤輝に左前適時打を浴びて同点とされた。さらに坂本の中犠飛で勝ち越しを許し、小幡に2点適時三塁打を浴びた。この回はリリーフ陣が4失点と炎上した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/004a47387bf03501fa4323eca04f73f9037d7387
巨人打線が六回に一挙5点!逆転に成功 難敵の大竹を攻略し意地のKO
巨人打線が、六回に集中打で一挙5点を奪って逆転に成功した。
3点を追う六回。梶谷の左前適時打で1-3としてなおも2死一、二塁。4番・岡本和が大竹から右中間に適時二塁打を放って2点を奪い、同点に追いついた。なおも2死一、二塁の場面でスタメン起用されたベテラン・長野が左中間に2点適時二塁打を放って勝ち越した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd74c5da0624c9f867b088ad2c5f2275c616fa3b
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— DAZN Japan (@DAZN_JPN) July 26, 2023
これが球界の千両役者
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長野久義はこういう場面で打つ😍
勝ち越しのタイムリーツーベース‼️
⚾プロ野球(2023/7/26)
🆚阪神×巨人
📱Live on DAZN#DAZNプロ野球 pic.twitter.com/XtjWTguxj9
元巨人・三浦貴さん、45歳で死去 投手から野手転向、引退後は浦和学院で指導も昨年大腸がん発覚
巨人、西武で投手や野手として活躍した三浦貴(みうら・たか)さんが亡くなったことが24日、分かった。45歳だった。関係者によるとこの日未明、容態が急変したという。
早すぎる教え子の訃報(ふほう)に、浦和学院時代に指導した森士(おさむ)前監督(59)=NPO法人「ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」理事長=も「あまりにも急でとても驚いています」と言葉を詰まらせた。同氏によると、三浦さんは現役引退後の12年4月から母校の教員として勤務し、13年7月末から野球部のコーチとして指導に当たっていた。だが、22年3月に大腸がんが見つかり、同校を休職。放射線治療と手術によって一時は全てのがん細胞の除去に成功し、今年3月に復職したが、6月末から再び体調を崩していたという。
三浦さんは東洋大から00年ドラフト3位で巨人に投手として入団。1年目から開幕1軍入りを果たし、中継ぎとして49試合に登板する活躍を見せた。だが、初先発マウンドに立った02年4月30日の広島戦(東京D)、初回に緒方の頭部へ死球を与えて危険球退場となると、そこから本来の投球が鳴りを潜め、この年は3試合の登板にとどまった。
03年の春季キャンプ。高い身体能力と非凡な打撃センスを評価した原監督の勧めもあって、野手転向を決断。同年9月15日の中日戦(ナゴヤD)で転向初打席に立ち、初本塁打を放った。07年限りで巨人を退団し、08年からは西武でプレーして09年限りで現役引退を決断した。
その後、森氏の勧めもあって、高校野球の指導者を目指すことを決意。運送業の傍ら、母校・東洋大に2年間通って教員免許を取得した。今年6月末に再び体調を崩す直前まで野球部の指導に訪れていた。情熱にあふれた男が、あまりにも早い旅立ちとなってしまった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53bd3f83da6c90c0b30d949763c61b1798530969
原監督がリクエストの結果に怒り!?思わず目を見開いてWHYポーズ→歯ぎしり顔面紅潮 梶谷は判定通りアウト
原監督がリクエストを要求するも判定は覆らず、ベンチで両手を広げるWHYポーズを見せた。さらに怒りが収まらなかったのか、歯ぎしりをしながら顔面を紅潮させた。
三回表の攻撃で無死一塁から梶谷が一塁方向へセーフティーバントを敢行。投手の平良が捕球し、一塁ベースカバーの牧にトス。判定はアウトだった。
だがやや牧の入りが遅かったように見えたため、原監督は即座にベンチを出てリクエストを要求。映像を確認の末、西本球審は判定通りアウトをコールした。
この直後、ベンチで大きく目を見開き、両手を広げた原監督。さらに手をたたいて何か言葉を発すると、歯ぎしりをしながらみるみる顔面が紅潮。相当の確信があったと見られ、判定に怒りをにじませていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a7a90cb49d5eeeca9d5a0f026f029d97e98c909