1: それでも動く名無し 2025/01/10(金) 22:56:50.41 ID:Kql8pn0I0
「2年の春までは、確かに調子は良かったんです」
島袋は当時の記憶を掘り起こし、そう呟いた。この大学2年の春季リ―グが、島袋の野球人生のターニングポイントと見る向きも多い。 大学1年の秋季リーグ終了後、中央大野球部は高橋善正(元巨人)が監督を退き、秋田秀幸(元中日)が新監督に就任した。 2012年、秋田監督の初陣となる春のリーグ戦で島袋は2年連続開幕投手に選ばれ、強烈なインパクトを残す。東洋大を相手に延長15回をひとりで投げ抜き、チームを3対2のサヨナラ勝ちに導いた。だが、要した球数は226球、奪三振数は21。言うまでもなく、ひとりの投手が1試合で投げる球数ではない。 「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありますけど、200球超えは初めてでしたね。あくまでも自分の意思で投げました。次の試合も、その次の日大戦も重要でしたし、調子が良かったので投げました。でも、ここで肘がぶっ飛びました」
島袋は当時の記憶を掘り起こし、そう呟いた。この大学2年の春季リ―グが、島袋の野球人生のターニングポイントと見る向きも多い。 大学1年の秋季リーグ終了後、中央大野球部は高橋善正(元巨人)が監督を退き、秋田秀幸(元中日)が新監督に就任した。 2012年、秋田監督の初陣となる春のリーグ戦で島袋は2年連続開幕投手に選ばれ、強烈なインパクトを残す。東洋大を相手に延長15回をひとりで投げ抜き、チームを3対2のサヨナラ勝ちに導いた。だが、要した球数は226球、奪三振数は21。言うまでもなく、ひとりの投手が1試合で投げる球数ではない。 「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありますけど、200球超えは初めてでしたね。あくまでも自分の意思で投げました。次の試合も、その次の日大戦も重要でしたし、調子が良かったので投げました。でも、ここで肘がぶっ飛びました」