1: それでも動く名無し 2023/04/03(月) 22:34:50.22 ID:oT/fjU9y0
ここまでアクセスが悪いスタジアムは見たことがない…日ハム新球場「エスコン」大失態の根本原因
声をからしながら応援したチームが勝利し、気持ちよく新しいスタジアムの空気も満喫した夢心地のなか、球場から一歩出れば、寒風のなか長蛇の列に90分待ち、最寄りの駅まで30分歩き、駅に入るのにさらに30分では、興ざめだ。アクセスの悪さにも限度がある。
■ガダルカナルとインパールの悲劇
これはなにも、エスコンの問題だけではない。こうした失態は80年以上前から日本に巣くう問題なのかもしれない。 さかのぼること81年前の1942年8月。太平洋戦争のさなか、ソロモン諸島のガダルカナル島で、日本軍とアメリカ軍との激しい戦闘が始まった。先遣隊900人、6000人と逐次島に送られ上陸した将兵は、最終的に3万人を超えたものの、翌年2月まで半年間続いた戦闘は、米軍の勝利で終わり、日本軍の戦死者は約2万2000人にも及び、その多くは、補給のない状態での餓死や病死で命を落としたという(以下、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』参照)。
声をからしながら応援したチームが勝利し、気持ちよく新しいスタジアムの空気も満喫した夢心地のなか、球場から一歩出れば、寒風のなか長蛇の列に90分待ち、最寄りの駅まで30分歩き、駅に入るのにさらに30分では、興ざめだ。アクセスの悪さにも限度がある。
■ガダルカナルとインパールの悲劇
これはなにも、エスコンの問題だけではない。こうした失態は80年以上前から日本に巣くう問題なのかもしれない。 さかのぼること81年前の1942年8月。太平洋戦争のさなか、ソロモン諸島のガダルカナル島で、日本軍とアメリカ軍との激しい戦闘が始まった。先遣隊900人、6000人と逐次島に送られ上陸した将兵は、最終的に3万人を超えたものの、翌年2月まで半年間続いた戦闘は、米軍の勝利で終わり、日本軍の戦死者は約2万2000人にも及び、その多くは、補給のない状態での餓死や病死で命を落としたという(以下、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』参照)。