食事は冷めたピザ、何度も監督室で「クビ」宣告…筒香嘉智はそれでもメジャー挑戦をやめなかった

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1: 名無しさん 2024/04/21(日) 08:44:48.84 ID:MvEg8OmK9
食事は冷めたピザ、何度も監督室で「クビ」宣告…筒香嘉智はそれでもメジャー挑戦をやめなかった 在米記者が見た「4年間の苦闘」

 米国では、独立リーグを含む7組織、傘下のマイナーを含めると計11チームに所属した。これまで戦力外通告を受けるたびに、DeNAをはじめNPBの複数球団から復帰への打診が、筒香の耳には届いていた。周囲からは早期復帰を望む声も聞こえた。だが、筒香の初志が揺らぐことはなかった。

 メジャーでプレーする可能性がわずかでもある限り、あきらめるつもりはなかった。今年2月下旬、ジャイアンツのキャンプに招待選手として参加していた際、腰痛で別メニューとなっても前向きな姿勢は変わっていなかった。

「帰ろうと思ったことはないです。(NPB球団から)いいオファーを頂いて、エッと思ったんですけど、帰ろうかなというのはないです。どのチームからも取ってくれなかったらこっち(米国)ではできなくなりますけど、それがあるうちに勝負したいと思っています」

 時の流れに逆らえないことも、自分でコントロールできないことに不平不満を漏らすつもりはない。どんな環境に身を置いても、筒香の信念は変わらなかった。

 翌21年には、レイズから戦力外通告を受けた後、ドジャースを経て、シーズン終盤の8月、大砲不在のパイレーツへ移籍した。同29日の本拠地カージナルス戦では9回、右翼場外へ消える特大の逆転サヨナラ3ランを放つなど、持ち前のパワーを発揮した。同オフには、パイレーツから複数年契約を提示されたにもかかわらず、自ら1年契約を選択した。だが、開幕直後に腰痛に見舞われたのを機に、戦列から離脱した。そこから再びプレー機会を求め、他球団を渡り歩く日々が始まった。

 23年はレンジャーズとマイナー契約を交わしたものの、ビザの取得が遅れ、キャンプには途中合流を余儀なくされた。開幕までに実戦での調整が間に合わず、戦力構想から外れ、マイナー行きを通告された。

 開幕後間もなく、傘下3Aでプレー機会が少ないことを実感した後には、独立リーグのニューヨーク「スタテン・アイランド」でプレーすることを決断した。中心地マンハッタンからフェリーで約25分を要する同地では、食事はほぼ毎日冷めたピザばかり。手を伸ばせる代物ではなかった。そんな不遇の中でも、結果を残したことで、同年にはジャイアンツとマイナー契約を交わした。NPBで打撃2冠を獲得した実績があっても、米国の競争社会では何の意味も持たない。めまぐるしい環境の変化も、正面から受け止めつつ、グラウンドに立つことを最優先にしてきた。

 米国移籍後は、コロナ禍、オーナー陣による「ロックアウト」、故障、ビザの取得遅れなど、常にアクシデントと向き合ってきた。その間、監督室に呼ばれ、「クビ」を通告されたことも1回や2回ではない。だが、ロッカー室で荷物をまとめ、次の行き先が見えないまま、球場を後にしても、筒香は未練がましく振り返ることをしなかった。

 目標をあきらめる、という選択肢はなかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/54ab297a1b4fbb03226a18071909a61661d329ab?page=1

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