1: 名無しさん 2023/12/17(日) 19:45:40.98 ID:Wb5bbDkG9
中日、阪神、ヤクルトなどに浮上「幻の身売りプラン」 “意外な企業”も買収に動いていた
NPB球団の身売り話は、2011年にDeNAが横浜ベイスターズを買収して以来、あまり聞かれなくなったが、過去には単なる噂で終わったものも含めて、“幻の身売りプラン”が数多く存在した。
まず1950年の2リーグ制導入直後は、1リーグ時代の8球団から14球団(セ8、パ6)に増えたことから、プロ野球参入を検討する企業も多数に上った。このとき、朝日新聞社も毎日新聞社(毎日オリオンズ)とともに参入を目指したが、最終的に実現しなかったといわれる。
さらに55年に乗用車「初代クラウン」を発売したトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)も、中部財閥の意を受け、53年まで中日新聞社と名古屋鉄道が隔年で経営していた中日(名古屋)の買収を検討している。
「儲からないビジネスモデル トヨタが『プロ野球』を持たない理由」(加藤鉱著 宝島社)によれば、同社の石田退三社長は大の野球好きで、球団保有後は「トヨタクラウンズ」と命名する予定だったという。
目玉商品「クラウン」の販売促進につなげたいという経営戦略からだが、意見を求められたスタッフたちの反応は芳しくなかった。巨人や阪神など他チームのファンから敵視され、必ずしも販売促進にはつながらないと懸念されたからだ。確かに、お気軽に買える食料品なら、対戦チームのファンも「相手を食う」とゲンを担いで買ってくれるが、高価な車では、それも無理。結局、トヨタクラウンズは実現することなく終わった。
72年、経営難の西鉄身売りの際に名前が浮上したのが、ペプシコーラ・ジャパンとパイオニアの両社だ。
同年、8球団による1リーグ制移行プランをセ・リーグ側に断られたロッテ・中村長芳オーナーは、パ・リーグ存続をかけて、西鉄の身売り先候補として両社と交渉した。
だが、ペプシコーラは10月20日、福岡の本拠地問題や累積赤字20億円といわれる財政難を理由に断ってきた。一方、「20億円ぐらいでプロ野球を経営できれば安いものだ」(石塚庸三社長)と当初乗り気だったパイオニアも、もう1球団、東映(現日本ハム)まで身売り危機であることを知ると、「パで観客動員ナンバーワンのチームが身売りするようでは」と一転難色を示し、話は流れた。
その後、西鉄はレジャー産業の太平洋クラブが買収し、口利き役の中村オーナーがロッテを退団して自らオーナーに就任したが、もし、このとき“パイオニアライオンズ”が実現していたら、現在の西武の球団史がどのように変わっていたかも興味深い。
78年には、日本マクドナルドの藤田田社長もプロ野球参入構想を明らかにしている。
戦争中に青春を過ごし、野球とは縁がなかった藤田社長だが、マクドナルドの経営者になると、ハンバーガーの需要層と野球ファンが一致することを知り、「プロ野球チームを持とう」と思い立った。さらに当時日本になかった屋根付き球場を作り、「大リーグに負けないチームにする」(月刊経済1978年11月号)という壮大な夢を描く。
パドレスのクロック会長は米マクドナルドの前CEOでもあり、協力を快諾。藤田社長も同年9月、セ・リーグの鈴木龍二会長に「セを8チームに増やして運営できないものか」と打診している。だが、マクドナルドの名を冠した球団が誕生することはなかった。
1990年には、米2Aバーミングハム・バロンズを買収したサントリー・佐治敬三会長が「まず2Aの球団を運営して、勉強してみてから、日本のチームのことを考えようと言っておったんです」(月刊経営塾1990年5月号)と将来のプロ野球参入をほのめかし、話題を呼んだ。阪神、ヤクルトが候補として報じられたが、いずれも噂の域を出ないまま立ち消えとなり、95年にプロ野球OBから成るモルツ球団が誕生した。
実現寸前まで行きながら破談になったのが、2010年の住生活グループによる横浜買収劇だ。
※以下出典先で
https://dot.asahi.com/articles/-/209033
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