2: それでも動く名無し 2023/01/06(金) 19:29:48.32 ID:bzrH1aBH0
【阪神】金村曉前投手コーチが明かす〝ドン底〟の4月「継投は僕に任せて下さい」と直訴
金本政権発足に伴い、15年オフから阪神の投手コーチに就任した金村氏は、ブルペン担当として中継ぎ陣の強化に注力。藤川球児、桑原謙太郎、ラファエル・ドリス、ピアース・ジョンソン、岩崎優、島本浩也、ロベルト・スアレスら豊富な駒を揃え、鉄壁の方程式でチームを支え続けた。そんな金村氏が「矢野監督の顔を見るのもつらかった」と振り返ったのが、開幕から1勝15敗1分けとドン底のスタートを余儀なくされた昨季の4月。ベンチのムードも落ち込み、借金が雪ダルマ式に膨らみ続ける日々の中、知られざる一つのターニングポイントがあったという。
それは4月21日のDeNA戦(横浜)。阪神は小野寺の満塁ホームランなどもあり、5―3とゲーム序盤でリードを奪うことに成功。4回からは2番手として馬場がマウンドに上がった。ところが馬場は楠本にソロアーチを献上し5―4の1点差に詰め寄られる。「馬場はブルペンからあまり良くなかった。でも矢野監督は(続く5回も)馬場にもう1イニング行かせると。僕は大反対したんです。雨も降っていましたし、『いいピッチャーに交代させた方がいいですよ』と。でも矢野監督は馬場を続投させた」(金村氏)。
金村氏の危惧は的中し、馬場は次の回で3点を失い逆転を許す。試合開始直後から振り続けていた雨脚が強まったこともありゲームは6回悪天候コールドの5―7で終了。勝てたかもしれない試合を落とした指揮官の采配は、当時のチーム状況もあり多くの批判を浴びることになってしまった。
これまでなら「分かった」と投手コーチの進言を受け入れていたという矢野監督だがこの試合はそうではなかった。「これはマズイ」と思った金村氏はチーム宿舎に戻った後「井上ヘッド(当時)の部屋に行き『監督のこと横で見ていてどう思いますか』と聞いた。井上ヘッドも『ヤバいな…。心配だよ』と。それで僕は『どうですか。継投に関しては僕に投げて(任せて)くれませんか』とお願いしたんです。僕としても監督が辞任するのなら、自分も責任をとって辞めるつもりだった。投手陣の能力は素晴らしい。だからこそ僕は彼らを上手いこと運用してあげたかった」
金村氏の捨て身の〝直訴〟を聞き入れた井上ヘッドは、その夜のうちに矢野監督の部屋を訪れ深夜まで説得。以降、ブルペン陣の運営は金村氏に託されることになったという。この日から阪神の投手陣は劇的に息を吹き返し、翌22日のヤクルト戦(神宮)からは「21試合連続で3失点以下」というプロ野球記録も樹立。チームも最終的にはAクラスの3位にまで浮上し矢野政権ラストイヤーを飾った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/948dad5f0c471d3831eb92e3c69a3482288dabfa
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