中日 201cmマラー4回無失点好投 オープン戦初登板初先発

マラー


1: 名無し 2025/03/01(土) 18:56:39.56 ID:+ixR4BGC9
2025年03月01日 16:05 野球
スポニチアネックス取材班
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2025/03/01/kiji/20250301s00001173225000c.html
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2025/03/01/jpeg/20250301s10001173214000p_view.jpg

 【オープン戦 中日―DeNA ( 2025年3月1日 バンテリンD )】 中日の新外国人マラーがオープン戦初登板初先発し、4回2安打無失点と好投を披露した。

 「(降板後、井上監督からは)グッジョブと言ってもらえたよ。球数もリズムもよくいけたし、この結果をシーズンでも続けたい」

 初回先頭・梶原を153キロ直球で見逃し三振。続く牧に右前打を許したが、筒香を内角低め149キロ直球で遊ゴロ併殺に仕留めた。2、3回をいずれも3者凡退。4回1死無走者で、牧に三塁内野安打されたものの、最後はオースティンを左飛に打ち取った。

 昨季アスレチックスに所属した身長2メートル1の大型左腕。メジャー通算54試合4勝11敗、防御率5・90。150キロ超の直球とスライダーなどが武器で、開幕投手候補の一人として期待されている。

 マラーは「開幕の機会をいただけたら投げたいですし、一方で、他の投手も投げたいと思うので、そこはアレだけど、自分がコントロールできることをしっかりやって、残りのオープン戦をしっかり投げて、あとは首脳陣の判断に任せたいと思う」と話した。

続きを読む

山本昌「星野監督から怠慢プレーで罰金100万取られた。当時、僕の年俸は1000万ですよ」

no title

1: 名無しさん 2025/03/02(日) 04:32:07.93 ID:4KXcPKr00
山本昌氏 現役時代、1回の“怠慢プレー”で容赦ない罰金 衝撃的な額に浜田雅功「それマジですか?」

 中日で219勝を挙げた山本昌氏(59)が1日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」(土曜後5・00)に出演。現役時代、怠慢プレーをした際の罰金額をぶっちゃけた。

 今回のテーマは「プロ野球4世代同学年」。1960年代生まれから90年代生まれまで4世代の選手たちが集結し、球界のジェネレーションギャップを語り合う。

 「今では考えられない指導」をテーマにトークが進む中、山本氏は「怠慢プレーには容赦ない罰金が科せられたんです」と振り返る。

 当時「阪神戦の8回裏、(自身が)先頭バッターでヒット打って。立浪君が送って1アウト二塁の同点だったんで、張り切ってセカンドからホームに還ってやると思って…」と逆転へと意気込んでいたそう。ところが「ショートの動きを確認してたら気づいたら、けん制アウトになったんです」と一瞬の隙を突かれてアウトに。

 結局その試合は「9回に決勝ホームランを打たれて」敗れたという。すると当時の監督・星野仙一氏から「罰金で“7桁持って来い!”って言われました」と告白。当時の山本氏の年俸は1000万円だった。

 指折り数える共演者に「皆さん数えてると思いますけど年俸の10分の1が罰金で取られました」と言い直すと、MCの「ダウンタウン」の浜田雅功が「それマジですか?」と信じられない様子で聞いた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a416d4f89d99a28baa8cbd9e2b3a7e62a063326

続きを読む

中日首脳陣「痛いふりすんなよ」「なんで自分の事が分からないんだ」

dragons2021
1: 名無し 2025/03/01(土) 07:44:26.84 ID:P4RmtyPq0
 難病と戦いながら、左腕を振っている。中日の福敬登投手は、2022年に国指定の難病との診断を受け、手術を経験した。リハビリ期間をへて、2025年シーズンでプロ10年目。低迷するチームを浮上させる戦力になりたいと思い続ける一方で、「いかに後悔なく終われるのかという段階」と野球人生の最後も考え始めている。

 2015年のドラフト4位で、JR九州から中日に入団。球団のレジェンド・山本昌さんの背番号「34」を受け継いだ。2020年には5勝5敗25ホールド2セーブ、防御率3.55で、最優秀中継ぎのタイトルを獲得。2019年から3年連続50試合以上に登板し、中日のブルペンには欠かせない存在になった。

 2022年7月、左足に違和感を覚えるようになった。マウンド上で急に足が震えたり、つったりした。ただ、プレッシャーゆえの反応としか思わなかった。

 およそ2か月後の9月、バンテリンドームでのヤクルト戦でのことだった。試合前はこれまで通り「何か変だな」と思う程度で、投球自体に支障はなかった。だが、マウンドに上がった後、左足の感覚がだんだん無くなっていった。「最終的に一切消えていました……。自分の足なのに何をしているのか分からない。気持ち悪い感覚でした」。プレーは不可能と判断し、1イニング持たずに途中降板となった。

 首脳陣やトレーナーにどう症状を伝えていいのか分からなかった。「痛いふりすんなよ」「何で自分の事が分からないんだ」と周囲に理解してもらえないこともあった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c988aa0e7cce27e3ae099dcda1286ae656ee399

続きを読む