
1: 名無しさん 2024/01/14(日) 19:43:43.40 ID:fLCmz8OI0
ソトの方が人的補償もないし良くね?
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「引退します」
西武から人的補償として指名されたことを聞かされた和田は、そう告げたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2454b22f3635de4c6426d6d2a88cb3b13bfacd07
昨年5月から続く〝山川問題〟は、衝撃的なエンディングが待っていた。
長崎で自主トレ中の和田に、ソフトバンク球団から人的補償で指名される可能性があると連絡が入ったのは10日夜。その時点で和田は「腹をくくって行くしかない」と移籍の覚悟を固めていたというが、正式決定ではなかった。
https://www.zakzak.co.jp/article/20240112-JATMRTQHBNOHRHO24NH7IQ76F4/
「引退します」...《FA人的補償騒動》の渦中でGMに示した和田毅の「悲痛」
舞台裏では、なにが起きていたのか。
西武からソフトバンクにFAで移った山川穂高の人的補償を巡り、両球団は1月11日の夕刻に甲斐野央が移籍することを公表したが、同日付の一部スポーツ紙が西武は和田毅を指名する方針を固めたと報道したことを受け、朝からすでに大きな波紋を呼んでいた今回のFA騒動。
それは誤報に過ぎなかったのか、それとも指名選手を急遽、変えなくてはいけない事情が発生したのか。
「引退します」
西武から人的補償として指名されたことを聞かされた和田は、そう告げたという。球界関係者が経緯を明かす。
「西武は9日の段階でソフトバンクに人的補償として和田を選んだ旨を伝えています。ですが、それはソフトバンクにとっては想定外だった。西武は先発投手陣が充実していますし、和田は今年43歳となり、推定年俸も2億円と高額。指名されることはないだろうと踏んでプロテクトしなかった。
それがまさかの事態となって翌10日に三笠杉彦GMが和田が自主トレを行っている長崎を訪れ、直接、会って事情を説明したものの、ソフトバンクに強い愛着を持つ和田は他球団でプレーすることはどうしても承服できず、ユニフォームを脱ぐ選択を口にしたそうです」
和田の決意の重さを知ったフロントは慌てて別の道を模索し始める。
スクープしたスポーツ紙の報道によるファンの反発が想像以上だったことで方向転換したと見るムキもあるが、当然、その前に動き出していたようだ。
「甲斐野はプロテクトされていた」
前出・球界関係者が続ける。
「球団の顔とも言うべき和田をこんな形で引退させるわけにはいかない。すぐに西武に事情を説明して詫びを入れ、別の選手にしてもらえないかと願い出た。西武は何人かの選手の名前を挙げていく中で、完全に納得したわけではないものの大人の対応を見せて甲斐野に変更した。
聞いたところでは甲斐野はもともとはプロテクトされていたそうで、みずからが種をまいたこととはいえソフトバンクも和田を守るために誠意を尽くしたんでしょう。ただ、異例のケースとはいえ、それが本当ならリストなんてあってないようなものになりかねない。両球団の間でやり取りするだけでなく、たとえばNPBもリストを共有するなどしないと公明性を保てないのではないか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2454b22f3635de4c6426d6d2a88cb3b13bfacd07
甲斐野、人的補償で移籍に涙「いろんな感情」 新年の挨拶直後…Zoomで通告「ですよね」
西武への移籍が決まった甲斐野央投手が12日、静岡市内で自主トレを行い、Full-Countの単独インタビューに応じた。国内FA権を行使してソフトバンクに移籍した山川穂高内野手の人的補償として指名され、2024年から新天地に移る。一夜明けたこの日、移籍を知らされた時の具体的な状況を明かした。
年始以降、福岡でトレーニングを積み、11日は静岡への移動日だった。人的補償で誰が移籍するのか、世間からの注目を集める中、甲斐野は「僕もあり得るなって感じでした」と心中を明かす。そして、電話が鳴った。相手はソフトバンクの編成担当者だった。「Zoomできるか?」。電話を切ってZoomに参加すると、三笠杉彦取締役GMをはじめ3人の編成担当者が待っていた。4人での会話が始まった。
第一声は甲斐野から。「あけましておめでとうございます」。新年の挨拶を伝えると、すぐに本題に入った。「今回の人的補償に甲斐野君が選ばれたということで、今年から埼玉西武ライオンズさんでプレーしていただくことになりました」と移籍を知らされた。甲斐野自身も「『ですよね』『もうわかっていました』という感じでした」と、覚悟を決めていた。20分ほどの会話を終え、新天地での活躍をすぐに誓った。
編成担当者から1度目の電話があった時、一緒に静岡に向かっている愛妻も隣にいた。移籍することをほぼ察して「多分、そうなると思うわ」とだけ伝えた。「いなかったとしても、一番に妻には電話しようと思っていましたよ。離れていようが、一番に妻に伝えたかったですから」と、支えてくれる家族に伝えるつもりだった。人的補償を知らされるという瞬間、妻が隣にいてくれたことも甲斐野にとっては心強かった。だから、すぐに覚悟も決まった。
11日の夜は、なかなか眠りにつくことができなかった。ベッドでスマホを見ていても、自分の名前が飛び交っている。「いろんな感情というか、ホークスに入ってからの5年間を思い出していたら寝られなくなりました」と、涙が溢れた。甲斐野には「(スワイプする)親指が攣るくらい」の連絡が来たという。この日は少し気疲れした様子だったが、ハキハキとした口調は甲斐野らしかった。
https://full-count.jp/2024/01/12/post1500073/