150: 名無しさん 2024/05/12(日) 16:32:40.53 ID:u2t5BDm+d
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阪神 中野が超絶背面キャッチ!後ろ向きにジャンプしながらグラブにスッポリ 併殺に一塁走者の山本がぼうぜん
阪神の中野拓夢内野手が五回にスーパープレーを見せて併殺に仕留めた。
五回1死から京田が放った打球はフラフラと中前に上がった。だが二塁・中野が全力で背走。落下地点に入るとジャンプしながらグラブを差し出し、見事にキャッチした。一塁走者の山本は落ちると判断して三塁ベースまで激走しており、アウトがコールされるとぼうぜんとした表情を浮かべた。マウンドの才木は満面の笑みでグラブをたたき、中野のプレーをたたえた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/068a077722d532b8a9d37f146599e0d36e398208
筒香に続き日本球界復帰か マイナーで苦しむ藤浪晋太郎に「パ・リーグ複数球団」で争奪戦の可能性
メジャーでのプレーがかなわない状況となった場合、考えられるのが日本球界復帰だ。スポーツ紙デスクは、「パ・リーグの球団で争奪戦になるのでは」と予測する。
「粗削りなパワーピッチャーはパ・リーグの方が向いている。球場が広いので力で押し込めますし、伸び伸びしたチームカラーの球団が多いので藤浪の性格に合うと思います」
具体的には、「有力候補となるのがロッテ、オリックス、日本ハムでしょう」という。
「ロッテは他球団の選手を再生する能力が高い。現役時代にメジャーでプレーした吉井理人監督も良き理解者となるでしょう。オリックスは山崎颯一郎、宇田川優希など剛速球右腕を育てることに長けた球団で、大阪桐蔭時代にバッテリーを組んだ後輩の森友哉という良き理解者がいる。大阪出身の藤浪の地元にも近く、環境面でも不安がない。日本ハムは新庄剛志監督が就任した21年に、阪神にいた藤浪のトレード獲得を熱望したことがありました。ソフトバンクで伸び悩んでいた田中正義を守護神として覚醒させた実績もあります」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e40185999b0d07e19e035d2e52376951de83f6a9?page=2
大谷翔平は「腰の張り」で代打交代 ロバーツ監督説明「無理させたくない」「明日は休みの方向」
米大リーグ・ドジャースの大谷翔平投手は11日(日本時間12日)、敵地パドレス戦に「2番・DH」で先発し、3打数無安打1四球で5-0の勝利に貢献した。9回には代打を送られて交代。デーブ・ロバーツ監督は腰の張りが理由だと伝えた。
この日の大谷は左飛、左飛、四球、投ゴロ。第5打席が回ってきた9回に代打を送られた。今季3度目の途中交代となった。
米カリフォルニア州地元放送局「スポーツネット・ロサンゼルス」は、試合後番組でデーブ・ロバーツ監督の会見を放送。指揮官は5点差がついたために交代させたのか問われ、「いいや、彼の背中が張ったからだ。4打席の前に背中が張っていると聞いた。5-0でリードしていたから無理はさせたくなかった。明日の様子を見てみるよ」と明かした。球団も「腰の張り」と発表した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dbb901dd887461408bae70f614b64f616032198b
強化合宿に異例の40社70人取材殺到 高校3冠、飛び級…ハンドボール界に現れた天才・安平光佑は何者か
パリ五輪に挑む日本ハンドボール界に、新しいスターが誕生した。88年ソウル大会以来36年ぶりに予選を突破して五輪に臨む男子日本代表が10日、強化合宿中の東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで練習を公開。「天才司令塔」にして「ファンタジスタ」とも呼ばれる安平光佑(23=RKバルダル)に、ハンドボールでは異例の多くのメディアが集まった。(文=荻島 弘一)
控室に収まらないほどの報道陣の数だった。テレビや新聞など40社から70人以上。人気競技なら珍しくもないが、普段はこの半分も集まらないハンドボールでは異常事態といえた。「五輪効果」があるとはいえ、圧倒的に注目されたのは欧州でプレーする若き司令塔の安平。コートサイドに並んだテレビカメラ12台とカメラマンの望遠レンズが、その動きを追いかけた。通常なら練習後は選手の囲み取材だけだが、取材希望者の多さに急きょ部屋を用意して会見まで行われた。
昨年10月、代表経験わずか2試合で臨んだパリ五輪アジア予選で、チームを36年ぶりの五輪予選突破に導いた。攻撃のリーダーとして毎試合前にミーティングを行い、先輩たちに細かな動きを指示。アシスト、ゴールと大車輪で活躍した。長く日本代表の司令塔を務めてきた東江雄斗主将(30)も「安平がいなかったら、五輪出場は難しかった」と話したほど、多くの選手がMVPに安平の名を挙げていた。
もっとも、五輪出場権獲得後は開催地のカタールから帰国せずにリーグ戦の行われている北マケドニアに直帰。凱旋会見も不在だった。準優勝した1月のアジア選手権後も大会中の負傷もあって帰国した代表チームには帯同せず。それだけに、多くの報道陣が「未知のエース」に殺到したのだ。
中学生時代から「将来の日本のエース」として注目された安平は、富山・氷見高の主将として高校3冠(総体、選抜、国体)を獲得。「飛び級」で世代別代表でも活躍し、日体大1年からはフランスやドイツでも短期間プレーした。22年に日体大を3年で中退し、ポーランドの強豪プウォツク入り。日本人として初めて欧州チャンピオンズリーグ(CL)に出場し、ベスト8入りにも貢献した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2bdfd85a98196d2fbf8a4187ea03d6ae9067698